世界文化遺産・日光東照宮に隠された伝説~歴史の裏側勝手に紹介編~

日光東照宮の謎?

皆様ご存知かと思いますが、日光東照宮というと、いわずと知れた徳川家康を神格化して祀っている神社です。

3代将軍家光(家康の孫にあたります)が建築させた特別な建物であります。私自身、静岡県出身という事もありますが、日光東照宮は日本の中で好きな場所の一つであり、何度も訪れています。

家光の将軍継承の際、父・秀忠は弟・忠長を推していました。しかし、祖父である家康の鶴の一声で家光の将軍継承が決まりました。こうした経緯があっただけに、家光は家康を強く崇拝するよになり、逆に父・秀忠には反発していたと言われています。

実際に家光は父・秀忠が建てたものをほとんど全部廃止して、新築に近い大改築を行っていますが、そこには家光の感情的なものがあったんですかね。

さて、ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、そんないわくつきの東照宮には色々な逸話や迷信が数多く存在するんです。

そこがまたなんとも言えない面白いところであり、歴史好きな私にはたまらないところでもあります。

今回はそんな迷信・逸話として、歴史好きの間でささやかれ続けてきたネタを2つほどご紹介させてもらいます(^o^)

「見ざる・言わざる・聞かざる」

まずは!!『三猿のモデル』について。

この「三猿」のお話・・・ちょっと「夢物語」な話だけど・・・「見ざる・聞かざる・言わざる」の起源はいまだに分かっておらず、よく似た表現は世界中にあるそうです。

ところで「見ざる・言わざる・聞かざる」って言葉は有名ですが・・・実のところ、誰を指しているかご存じでしょうか・・・?

三猿は何を隠そう、家康がまだ存命だった頃に作らせたという話です。

「見ざる」・・・直江兼続

「聞かざる」・・・伊達政宗

「言わざる」・・・石田三成

と、いうことらしいのですが・・・どうなんでしょうか・・・

信じるか、信じないかは、あなた次第です・・・!!

東照宮の桔梗紋

お次は、かなり有名なお話かもしれませんが、『明智家の桔梗紋』。

桔梗紋はそんなに珍しくないものなので、あまり見間違えようはないと思うのですが、東照宮には桔梗紋があると言われる個所が2か所あります。

1.陽明門の門衛の袴の紋(裾の方に桔梗紋らしきものが確認できます)

2.鐘楼の壁やひさしの紋(ひさしを支える柱等に確認できます)

さて、これらは光秀の家紋・・・ひいては桔梗紋なのでしょうか?

結論から言うと、桔梗紋ではありません。

1については織田家の家紋である「木瓜紋(モッコウモン)」です。2については家紋ですらありません。装飾用に用いられる「唐花紋(カラハナモン)」と呼ばれる紋なのです。

桔梗紋を用いていたのは光秀だけではありませんから、もし桔梗紋があったとして、それが「光秀のものだ!」というわけではないですね。

『なぜこんな噂が生まれたのか』

光秀の死が明確ではないからでしょうか。光秀は山崎の戦いに敗れて逃走し、その際に武者狩りによって死亡しました。その首は光秀の側近によって埋められたと伝えられます。

また、首実験に出された首は3対あり、どれも酷い状態で判別は難しかったようです。ですので、光秀の死亡ははっきりとはしていません。

家康に仕えた、天海という僧侶がいます。その天海の出自がはっきりとしないことから、天海は光秀ではないか?という説があるのです。

家康の神名は”東照大権現”ですが、この名を付けたのが天海です。天海は家康によって、東照宮の造営を任されていました。

彼は僧侶ですが、当時は「神仏習合」と言って、神社もお寺も合同で祀られていましたので、神社の運営なども可能でした。余談ですが、明治時代に「神仏分離」となり、現在では神社とお寺は別物とされています。

『日光東照宮に桔梗紋という話』。有名ですが、現実には違うというお話です。

いかがでしたでしょうか??面白そうじゃないですか?他にも嘘か真か、色々なストーリーがありますが、今回はこのへんで\(^o^)/

噂に流されないようにしなければいけませんが、その時の時代背景や人のつながりを考えると、違った見方が出来て更に面白いと思いますよ。

ご興味を持って頂けたら調べるだけでも(^o^)
間違っていたらすみませんが、ご愛嬌でお願いします(笑)

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マサ
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