【黒船見物の丘】店舗スタッフが送迎の際に見つけた横浜穴場スポット?

こんにちは。今年も都内の某桜の名所に一人で行ってきた、横浜店店舗スタッフの安藤です。来年こそは誰かと一緒に行きたい、横浜店店舗スタッフの安藤です。

横浜の街を西へ東へ南へ北へ

デリヘルのお仕事をしていますと、車でいろんな場所に行ったり、いろんな道を走ったりします。お客様がお待ちしているホテルやご自宅へキャストさんを送ったりお迎えに行ったりするからです。

この仕事をしていなければ、おそらく絶対に行かないであろう町や地区にもどんどん行きます。車の運転が好きな人や、アクティブに動き回る事が好きな人にはもってこいのお仕事ですね。

私が勤務している場所は横浜ですので、この仕事を始めてから、横浜の街を西へ東へ南へ北へ、みなとみらいや中華街など観光スポットや有名スポット、その周辺ももちろん走りますが、地元の人じゃないと行かないような場所までたくさん走らせていただきました。

あちこち走り回っていて気づいたんですが、横浜の街って実に坂が多いんですね。しかも結構な勾配の坂ばかりなことに気づきます。

そしてそんな坂を登ったり降りたりしていて、先日偶然辿り着いたというか通りかかったスポットがありまして、それが今回ご紹介します「黒船見物の丘」です。

「黒船見物の丘」とは?

黒船見物とは誰もが歴史でお勉強しました「黒船来航」。1853年(嘉永6年)にペリー率いるアメリカの艦隊が日本に来航した事件ですね。

当初、黒船の艦隊は横須賀市の浦賀沖に現れ、長年鎖国を敷いていた日本に開国を迫ります。慌てふためいた幕府は、将軍が病気で決定できないという理由で、返答に1年の猶予を要求。ペリーは1年後に再来航するとして日本を離れます。しかしそれから僅か半年後、ペリーは再び艦隊を率いて来航し、幕府の決断を迫ったのでした。

突然の大艦隊の来航に幕府は大いに驚いたものの、町民は煙突からもうもうと煙を上げる巨大な船を一目見ようと、お祭り騒ぎになったとのことです。

横浜だけでなく、江戸からも多数の人々が見学にきたようで、「黒船見物無用」の立札が立ったりもしたそうです。それでも人々はお構いなしに見物に押し寄せ、そのうちお団子やお茶を売る人たちまで現れ、観光地さながらの様相を呈していたそうです。

黒船来航の影響って凄まじかったんですね

さて、この「黒船見物の丘」、船を見に来るわけですから当然港の近くにあるだろうと思いませんか?

イメージ的には沿岸部、砂浜みたいなところに沢山の人だかりという図を思い描くでしょう。もちろん沿岸部にも相当の人が押し寄せたみたいですがこの「黒船見物の丘」というところは、実は海からすごーく離れた場所にあるんです。

どれくらい離れているかというと、横浜港、みなとみらいや赤レンガ倉庫、山下公園などがある辺りから直線でもなんと7~8kmも離れたところにあるんですよ!

住所でいうと港南区の上大岡というところ(正確には「横浜市港南区上大岡東2-21-2」)。車で行こうとすると横浜港から30分近くもかかるでしょうか。

いくら大きな船とはいえ、7kmも離れたところからそれを眺めようと人だかりができ露店まで出るって。長い間鎖国をしてきた日本に、見たこともない外国の巨大な船が与えたインパクトって、それだけ大きかったんでしょうね。そして、昔の人ってどれだけ目が良かったんでしょうか(笑)

たまたまこの付近に用事があって、地図を開いたら偶然「黒船見物の丘」というスポットが目に入って、こんなところから黒船が見れたんだ!とビックリしまして、今回のブログで紹介させていただきました。

この場所へ行くには、京急の上大岡駅の東側、住宅地の少々急な坂道をどんどん登っていきます。現場に到着すると「黒船見物の丘」と書かれた小さな案内看板があります。もちろん現在はお団子屋さんもお茶売りも出てません。当然人だかりもありません。

横浜観光の一つとして行くほどのところでは正直ありませんが、ご興味がある方は探して行ってみて下さい。

それでは今回はこの辺で。

この記事を書いた人

雅人安藤
  • 安藤 雅人 ( / )
  • 全くの未経験でこの世界に飛び込んでみました、身の程知らずの安藤と申します。分からないことだらけでしたが、良いスタッフさんに囲まれてたくさんの事を教わりながら、毎日楽しく過ごしています。

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