【思い出のラーメン③】寡黙な店主が作る油そばに本気で恋していた話

もう10年以上前の話になります。当時のワタシはすでにこの会社に在籍していましたが、まだ正社員ではなく、アルバイトとしてドライバー業務や配車業務等、今とは違う役割で仕事をしていました。

寡黙な店主が作る油そば

社員になった今でも休みは十分ありますが、当時はアルバイトだったこともあり、勤務時間や休日など、今よりも融通がきく状況でした。そんな自由気ままに過ごしていたアルバイト時代のお話。

当時からラーメン熱は今と同じくらいあり、いろいろなお店に行ってました。その中でも特にハマっていたお店が平和島にあり、神奈川区の自宅から1時間弱かけて通っていました。多い時は週に2~3回行くことも。

それなりに通ってはいましたが、寡黙な店主さんということもあり、何か特別な会話を交わした記憶はありません。出された油そばを淡々と食べ、そして帰るの繰り返しでした。

言い知れぬ不安・・・

そんなある日、いつものように首都高のガードをUターンしながら平和島の店の前に車を停めると・・・やっていません。「わざわざ来たのに」と途方に暮れつつ、その日は別の店に行きました。

数日後、再び訪れてみるとまたしても営業していませんでした。これはおかしい!と思いつつも、とりあえずその日も別の店で腹ごしらえ。

当時のワタシはネット弱者で、ネットで何かを調べるといったことに慣れていませんでした。それでも帰宅後に頑張って調べてみます。すると、ワタシの好きだった店は、屋号はそのままでスタッフだけそっくり入れ替わり、新しい体制で近日中にリニューアルオープンするとのこと・・・

それを知った時、なんとも言えない不安に駆られましたが、とりあえずオープンしたら行ってみようと思いました。

生涯で一番切ない油そば

そして後日、リニューアルオープンした店に行くと、内装も若干変わり、メニューもリニューアルしていました。でもワタシの大好きだった油そばは残っていたので、とりあえず一安心。

しかし、注文して出てきた油そばは、見た目からして以前のものとは全然違う。大丈夫か??と思いつつ口にすると、ワタシの大好きだった味はそこにはありませんでした。どんぶりの中身は、資本に毒されたどうしようもない油そば・・・

あんなに切ない思いで食事をしたのは、生涯でその時だけだったと思います・・・

いやー、もう食べながら、切なさやら悲しさやら怒りやらあきれやら、いろいろな感情が入りまじり、いたたまれなくなったのを、今でもはっきり覚えています。そのくらい前店主の作る油そばが好きだったんですね・・・

その日は、もうあの油そばは食べられないのか・・・と、落胆しながら帰路に着きました。

大げさと思われそうですが、その虚無感といったら失恋と同じような感覚でした。たぶん数日間は元気がなかったと思います。

そんな、油そばと本気の恋愛ができる横浜店舗スタッフの山中暖々二郎と申します。

この話まだ続きがあるんですが、また次回!弊社は完全週休2日制でお休みいっぱいです!

この記事を書いた人

二郎山中
  • 山中 二郎 ( / )
  • ドライバーから始めたものの、居心地の良さから気付けば正社員になっていた37歳独身の山中二郎と申します。日々の出来事で口に出すまでもなく心にしたためた事を徒然なるままに書いております。

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