光源氏になりたくて・・・・・

光源氏

光源氏を夢見た10代

百人一首

光源氏とは私が説明するまでも無く、誰もがご存知の「源氏物語」の
主人公であります。

紫式部が書き上げたオリジナルはもとより、現代にいたるまで様々な
書物が世に出ては作者の目線で語られ、各々の思いのたけが綴られて
まいりました。

私が初めて目にしたのは、高校の古典の授業のなかででした。

古典を担当されました先生も大の源氏物語ファンでして、熱のはいった
授業内容は私の高校生活の思い出の1ページとしていまも、大切に心の
アルバムの中にしまっております。

それにしても、今思うと私も若かったのでしょうね。
古典の授業で・・・源氏物語で・・・・あんなに興奮できたのですから・・・・・。

私が源氏物語で記憶しているのは物語の前半部分でして・・・・・
いわゆる光源氏が美しい女性(一部例外もあったようですが・・)と数多の
恋愛遍歴を繰り広げた部分のみでございます。

そして理想の女性を求め恋に生きた光源氏に憧れ、「いつか俺も」と
夢見るのでした。

光源氏なりたかった20代

光源氏

いざ、光源氏になろうとしても、「じゃあどうやって?」と疑問符があたまの
なかでグルグル回る。

彼女をたくさん作る?でも二股?三股?って人としてOKなの?
イヤイヤ、俺はそんなモテ男ではない!
むしろ(当時)年齢=彼女いない歴!

早くも光源氏への道が閉じようとしている瞬間、ふとナイスアイデアが浮かんだ。

「そうだ、風俗へいこう!!」

あまりにも安易と言えば安易ではありますが、出会い、そして季節イベントを
こなして愛を育むより、理想の女性にたくさん会いたいのなら、情報を集めて
理想の女性を求めてお店に行くほうがはるかに効率的です。

そしてこのときから私の20年にわたる風俗歴が静かにスタートしたのです。

光源氏計画まっしぐらの30代

大阪

社会人となり、金銭的に余裕が出てくると、光源氏計画は勢いをまして
まいります。

地元神奈川の川崎・伊勢佐木町をはじめに、都内の有数の歓楽街である
新宿歌舞伎町・渋谷・池袋はもちろん、

渋めに新大久保・上野・新橋など休みを使い足しげく素敵な女性に会いに
いったものです。

さらに盆・正月には、日本古来の伝統行事もそっちのけで、地方遠征と称し
北は北海道・すすきのから南は福岡・博多は中洲まで足を伸ばしたものです。

牛タンの町仙台でお邪魔した人妻ヘルス店で舌鼓をうち、
秋田美人・新潟美人を目当てに飛び込んだマットヘルス店でローションの
波に溺れ、関西弁でいじめてもらおうと向かった痴女プレイ店で自分の
新たな一面を知り、日本の中心、名古屋の栄のイメクラ店で愛(喘ぎ声)を
叫びました。

情報をもとに、店員さんの話をもとに様々なお店を巡り、複数の女性と
出逢いましたが、光源氏の道は険しいものでした。

光源氏にはなれなかったけれど

経験を活かす

各地の様々なお店で複数の女性と出会いましたが、良き出会いは数少なく
自分が再度会いに行った女性は二人。

光源氏になるにはほど遠く、30代後半この光源氏計画の終焉を迎えるのでした。

今にして思えば、お仕事として生業にしている女性に素敵出会いを求める
というのは無謀のようでした。

広告・情報に踊らされることも多く、お金をドブに捨てたような後味の悪い
出会いもありました。

光源氏計画の終焉から5年。
何の因果か今は風俗業界で働いております。

日々、自分と同じように素敵な出会いを求めているお客様や事情を抱え
この世界に身を置く女性と接しております。

出会いを求めるお客様には、受付業務にてより素敵な出会いになるような
お手伝いをしたり、お金を稼ぎに来ている女性には、自分の体験談を
織り交ぜてお客様の心情をお話ししたりと、

私は光源氏にはなれなかったけれど、光源氏を目指して全国駆け巡った
体験はいかされております。

この記事を書いた人

大樹青木
  • 青木 大樹 ( / )
  • 「初志貫徹」!!!とはいうものの壁にぶちあたる毎日に全身複雑骨折にて満身創痍。とほほ(涙)。でも人前では泣かない男の子だもん!!

青木大樹が書いた記事